鬼滅の話し
とある場面のお話。
主人公の炭治郎の父が年に一度厄払いのために「神楽」という舞を踊るんです。
それは十二の型を一晩中休むことなく踊り続けるというもの。
しかし父は病弱で体力もないので、炭治郎が父に体は大丈夫かと問うた時の答え。
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父さんはここ数年神楽がつらいと思ったことはない
おじいちゃんに神楽を習ったばかりの頃は、今より若く健康で力もあったのに
息も絶え絶えになってつらかった。
単純にムダな動きが多かったんだと思う
大切なのは正しい呼吸と正しい動き
最小限の動作で最大限の力を引き出すことなんだ
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だから一晩中踊り続けられたという。
でも、ただ正しい呼吸と正しい動きをしたからとて、一朝一夕では出来ないんです。
んで、別の場所に書いてあったこと
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できることと、使いこなすこと、極めることはそれぞれ違います。
繰り返し練習して決まった動作が「できる」ようになったら、それをどんな体勢や状況でも
適材適所で出せるようになるのが「使いこなす」ことです。
さらに、その使いこなしている技を、
他の誰よりも速く強く、常に最大限の力で出せるよう練り上げることが「極める」ことです。
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僕も実際、駆け出しの頃と比べるとはるかにおっさんになっていますが、昔よりも施術で疲れないし、「強く押そう」という気がなくても 自然と勝手に深く入っていくし楽。
少しは練り上がってるのかなと信じたい。
「使いこなす」「極める」というのは難しいことで。
どんな達人レベルの人でも「自分は極めている」と思っている人はいないと思うんです。
「施術を極めた治療家」とか自負する人がいたら胡散臭いですもん。
ウチによく来る広告なのですが、こんなキャッチフレーズばっかりでもう飽き飽き。
しかし自分の施術スタイルを確立していない治療家さん達は食いつく。
「素人も使いこなせる」
さっきの話の流れからすると、大層な矛盾が生じています…
これはただ先生が隣にいて「その場で出来てしまった」レベル。
次の日からは発動しない。
運転免許取得しに教習所行きますよね。
初めてハンドル握って、隣に教官が座って、言われるがまま操作して車を走らせることが出来ます。
これは車を乗りこなせていると言えますか?
それで乗りこなせたと思って一人で路上に出られますか?
交通ルールも全く知らないのに。
基盤がないというのはそのレベルなんですよ。
施術をナメたらあかん
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